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レポート

寄稿文|「屋根」text by 上田假奈代

2019.07.07

2019年7月7日に開催した「キックオフ・ミーティング!」を観覧いただいた詩人の上田假奈代さんから、寄稿文をちょうだいしました。

 
「あした、新長田に行くんですよ」と仕事場で話していると、上安さんが「住んでましたよ」と言った。
上安さんが日本を転々としていたのは聞いたことがあった。仕事場の小上がりに二人分くらい距離をあけて腰掛けて、わたしたちはキッチンの方向をむいていた。
「いつの話ですか」
「僕が、23歳のころですわ」
 
「じゃあ、ずいぶん前のことですね」
上安さんは首にかけていたタオルで汗をぬぐった。
おそい梅雨入りのうえ、蒸し暑い日がつづいていた。
上安さんは50歳なかばだから、30年ほど前のことか。
「新長田から少し離れた、六間道。パチンコ店にいたんですよ」
「その頃って、工場とか多くて、労働者の人たち多かったんでしょ」
突然、わたしの旦那が話にはいってきた。
「あそこらへん、人多かったやんな」3人で話しだす。
上安さん「そうそう、それが」
「それが?」と、わたし。
「客がね、暴れて、たいへんで」
「そう、暴れるのね、玉でーへんとか」
「よく、暴れてましたね。でも、もっとひどいとこが、よそにあってね、〇〇組のあるあたりは、もっと大変だったんですよ」
 
40年ほどまえのその日は冬の前だった。
中学を卒業して、愛媛の片田舎で左官屋に修行に入った。朝早くから昼ごはんもすぎて3時頃まで、ずっとセメントを練っていた。セメントの湿気を含んだにおいを嗅ぐと、どうしてもおしっこに行きたくなった。練ったセメントを職人のところに運ぶのだが、遅い、と叱られるので、バケツを左右2個づつもって運ぶ。セメント袋も重かった。40kg。柔道部にいて、背筋だけは強くて、同じクラスの鉄工所の息子とふたり、競うほどに力だけはあったから。肩に2袋積んで運んだ。でも2ヶ月もしないうちに辞めて、家の近所で仕事をしたら骨折して労災で1年入院した。家に帰って、しばらくして、こんな田舎を出ようと思った。
冬がはじまりかけていた。
2つ歳上の兄のスーツを洋風ダンスから出して、カバンに詰めて、玄関からいつもどおりに家を出て、弟に頼み、2階から荷物を投げてもらった。鈍い灰色の瓦屋根を超えて、連なる瓦の線を荷物は飛び越していく。
その屋根の下には、一度も戻っていない。
中学生だった弟とも、家族とも、その日から、会っていない。
兄のスーツは野暮ったくて、一度も着ずにどこかで失くした。
 
ヤクザの事務所番をしていた。事務所に入るときに、親に手紙を書け、と言われた。そういうものなんだ、と。もう家に帰らないから、探さないでくれ、と。言われた言葉を書いただけだ。壁には振り子のついた時計が揺れていた。
手紙を出して、数日後、2階の窓からあたりを見ていた。電信柱の線が空を区切る。景色を区切る。連なる黒く灰色の屋根。屋根。また屋根。人が暮らしている。向こうには山。かすむ山。
その時、道を歩いている人の姿が目に入ってきた。背中の肩のあたりの傾き。父だった。田舎からでてきて、ヤクザの組のいくつかを目星をつけてさがしに来たのだろう。窓から身をはがしたのは、親分が「隠れろ」と言ったのと、ほぼ同時だった。
 
屋根はつづく。震災前の六間道も屋根がつづいていた。道は細く行き止まりの路地もあった。新長田の商店街を進み、左に曲がって5軒目のパチンコ屋で働いた。いつも、どこの店もどこの飯場もそれほど長くは勤められなかった。1ヶ月か2ヶ月。半年続けば長い方だった。
パチンコ屋がよかったのは、身元を証明するものがなくても、住み込みで働けるからだ。名前さえどうでもよかった。店が開く前からパチンコ台を見る。じぶんの仕事が終われば、まだ営業しているパチンコ屋に行った。パチンコの前にいればパチンコがすべてを解決できると思えた。目の前には、目をあけて閉じるまでパチンコがあった。
屋根をつたって歩く。
雨が降っていた。
客が溜めたパチンコの玉を何段か重ねて持ち上げようとして、ぎっくり腰になったのが数日前で、やっと腰が治ってきたから、パチンコ屋に行こうと歩いていた。その日は調子がよかった。パチンコ台はなんども音楽を鳴らし、ぴかぴかと光った。財布はすこし膨れた。屋根から垂れる雫が、ここじゃないどこかへ行こうとふいに思わせた。その翌日、六間道のパチンコ店を出た。
「1ヶ月後、阪神淡路大震災がおこったんですよ」
上安さんが言った。
 
1995年の震災のときは、上安さんは30歳だ。計算機をだして2019ひく1995は24。54ひく24は30。「ねえ、この前、六間道は23歳って言ってたけど、震災のときは30歳のはずですよ。ほかの地震と間違えてるんじゃないですか」と聞いてみた。
上安さんは、首を傾け両方の手をだして、指を折りはじめた。「15、でしょ、16、17、18、19、20、21……で、名前を変えたでしょ。そんで、福岡の飯場に入って、京都へ遊びに行った帰りに連れの実家の広島に泊まって、それで福岡が遠いから、神戸で働こ、おもて、六間道に……」
「名前、変えるって、何ですか」
「ヤクザの事務所から逃げて、ほら、こどもやから、捕まえられると思って、友達の名前にしたの。かわもとすすむ」
「かわは3本川の川? 本?」
「そう、しんにょうの、進」
「川本進! ありそうな名前! ずっと、使っていたの?」
ふたりで笑った。
「20年くらいかな。嫁さんには、別れる最後のほうで、偽名や、って言うた」
「え? 嫁さん?」
「籍はいれてないよ。俺が29、彼女が19で。よくある話。同じパチンコ店で働いてて、彼女にはどうしようもない男がおって、大阪出身のね、暴力とかね。俺が優しそうにみえたんやろうね、それで、言い寄られて。かけおちしたの」
「かけおち? どこへ?」
「北海道。遠くへいこう、ってなって」
「何してたの?」
「札幌、小樽。でもお金なくなってね」
「どうしたの?」
「前に働いてたパチンコ店にね、サトウさんっていう金持ちなんだけど趣味でパチンコ店で働いてる人がいてね、サトウさんは困ってる人のお世話をするのが好きやね。連絡したら、東京駅で二人分の切符を買ってくれて、それが札幌駅まで連絡されて、切符もたずに東京駅まで帰ってきて。鈍行でね、2〜3日かかるよ。疲れて。疲れるよお。そしたら上野にホテルをとってくれていてね。サトウさん、お腹すいてるやろうってホテルの食堂に夕食をたくさん頼んでくれたの。でも、ついた途端、さあ、ひさしぶりに布団で寝れる、って思ってたのに、サトウさんに、さあ、飯くいにいくぞ、って連れ出されて。あとからホテルのおばちゃんに怒られた」
 
新長田の新しい商店街のアーケードは天井が高い。広い道は空気の分量が多い。蛍光灯のような明るさに乾いた陽射しが重なる。もし天国にアーケードがあるなら、こんなかんじかもしれない。「アスタくにづか」のアーケードが終わるころの正面に、「六間道(左矢印)」と書かれた紺色の看板があり、迷わず左に曲がる。
すると、飛行機の格納庫のようなアーケードに変わり、風がふいに肩にとまる。三国志の銅像の下には、3人の老婆が腰掛けている。
交差する路地を一本一本確かめたい衝動にかられたが、そっと目を向けるだけにした。
格納庫アーケードを抜けて、しばらくまっすぐ行くと、左側にモスグリーンの壁のビルが目に入った。
「はっぴーの家」の壁だった。
スロープになった玄関を、勝手に入っていいものか、どうか、すこし迷ったが、玄関の向こう側には、無造作にスリッパがたくさん入った箱、いろいろと物がのった棚、飲み物80円とか書いてある棚などがあり、その雑然とした感じは、細かいことにこだわらず、入りたかったら入ったらええねんで、と告げている。
「こんにちわー」と扉を開けた。
誰も出てこないけど、きっと中に入っていい、と思う。
 
車椅子のおばあちゃんやおじいちゃん、孫のような年頃の小学生がいる。テレビがついている。あたりの壁には作品のような、にぎやかなものが貼り付けられていて、ベビーベッドの上にもおもちゃ、ソファにあちこちにおもちゃ。
おばあちゃんの横にはゲームをしている小学生の男の子がいて「お孫さんですか」と聞くとうなづく。けれど、たぶん、近所のこどもだろう。
 
首藤さんが通りかかった。この施設の代表だ。
「あ、こんにちは」
「お邪魔してます」
「どうぞ、どうぞ」茶髪の髪が愉快そうに揺れる。
このあと1時間後に、彼はステージにあがり、ダンスをする。
さっき、ダンスボックスのリハーサルをのぞいた時、ステージ上で唸り声をあげていた。
 
真っ黒なステージ。照明が赤く、青く、筋になって光る。
一直線の屋根のラインは縦横無尽に動く。
からだをステージにおく男たちは、屋根の下ぎりぎりに立ち、なんどもそこから外へ出ようとしている。
屋根の下は、家でも外でもない、あいまいな場所だが、雨が降れば、雨の雫が線をしめす。
ひとりがそこに立ち、また出て行く。
誰かがやってくる。
声をかけたり、かけずに、雨空をながめるのかもしれない。
風にそよぎ、陽射しに目をほそめるのかもしれない。
屋根に、とばりがおりてくる。
屋根は暗闇にまぎれて、見えなくなるが、月夜の晩には月影が暗闇を誘い出す。
 


 
上田假奈代(詩人)
春から、スコップで井戸掘りをはじめた。蛇口から出る水ではない。体を動かし、誰かといっしょに働くこと、釜ヶ崎の労働者と呼ばれる人たちの経験と知恵にであいなおす。大阪市西成区釜ヶ崎で「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」や「釜ヶ崎芸術大学」を運営する。NPO法人ココルーム代表理事。www.cocoroom.org
※釜芸、井戸を掘る!〜7月26日
http://motion-gallery.net/projects/kamagei2019

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こんにちは、共生社会とは

障がいの有無、経済環境や家庭環境、国籍、性別など、一人一人の差異を優劣という物差しではなく独自性ととらえ、幾重にも循環していく関係性を生み出すことを目的としたプロジェクトです。2019年に神戸市長田区で劇場を運営するNPO法人DANCE BOXにより始動しました。舞台芸術を軸に、誰もが豊かに暮らし、芸術文化を楽しみ、表現に向かい合うことのできる社会をめざす、多角的な芸術文化創造活動です。

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