こんにちは、共生社会

MENU

レポート

【公演本番レポート|竹田真理】トライアル・ダンス公演『 未見美(Mi-Mi-Bi)』

 

▶︎トライアル公演の概要はこちらから

 

2月5日と6日、プロジェクトは本番の日を迎えた。ArtTheater dB KOBEで行われた公演の二日目の模様を、アフタートークと合わせてレポートする。

 

兵庫県は1月27日からまん延防止等重点措置期間に入り、本公演も実施に踏み切るか否か慎重に検討がなされたが、万全の感染対策を取ったうえで予定通り開催された。通常より数を減らした客席は、現下の状況でも今日の舞台を見届けたいとの思いで足を運んだ人々でほぼ埋まっている。手話で会話をする人たちの姿も見られる。開演前の案内のアナウンスは舞台下手に立った手話通訳者(久保沢香菜さん)とホリゾントに投影される字幕によっても伝えられた。以下に、作品ごとにパフォーマンスの様子や受けた印象を記していこう。

 

開演。まず出演者8人全員が舞台に現れ、観客と対面する。照明を受け、思い思いの衣装で舞台に立つ一人一人が表現者であり、8人が共同して作り上げた公演であることが伝わるオープニングだ。武内美津子さんが一人舞台に残り、プログラム一番、ソロ作品『いざなみ』が始まった。

視覚に障害のある武内さんは小さな歩幅でしずしずと歩き、動くたびに身につけた鈴が音を立てる。数歩進んではくるりと一回りし、足で床をタンと鳴らす儀式のような動作。国生み神話に沿った場面が真っ赤な照明、黒・白・赤の布や衣装で象徴的に描かれ、この世の始まり、踊りの起源、生命の理(ことわり)を思わせる。祈りのような作品だ。
 

 
『自分だけ?いや、違う。』車椅子の田村みくりさんとSO-MAさんのデュオは、切ない恋心を歌うJ-POPの歌詞にのせた踊り。すれ違う歩行、手をつないで回転、SO-MAさんの腕の下を田村さんがくぐり抜けるなど、互いの異なる身体で何ができるかを工夫した動きが目を引く。出会いの喜びと最後にやってくる別れは、男女に集約されない人と人との関係性の機微を思わせた。
 

 
『社会の半端者』KAZUKIさんは先天性のろう者で「手の表現者」。手話やマイム、指先まで駆使した緻密な動きで語りを紡ぎ、物語を伝えると同時に、ヴィジュアル的にも映える動きを独自のスタイルのソロ作品に仕立てた。心臓の鼓動、自分を切り裂く動作など葛藤を抱える自身の姿を描くが、映像を用いた最後のシーンで地球という大きな視野に立ち、希望につなげる。
 

 
『My Body』福角幸子さんのソロ。脳性麻痺による不随意の身体が生む表現は圧巻だ。震える指で示す「5,4,3,2,1」。手のひらで口、目、耳を覆い「く」「もく」「じ」と声を発する。くち、め、みみ、ではないことに福角さんの反骨の意思を感じる。「右」と言いながら差し出そうとする手は麻痺のために反対側へ動く。それでも渾身の力で右、左、上、下を指し示してゆく。何かを解き放つように束ねた髪をほどくと、「つかむ」と発しながら手を宙に差し出す。車椅子の上で脚が引き攣れ、反対側の腕も大きくぶれるが、呟き、囁き、叫ぶように繰り返す「つかむ」の声に心を揺さぶられる。
 

 
『Mother』イサドラ・ダンカンの振付を踊る森田かずよさん。弟子が書き残したとされる舞踊譜に基づくダンスだが、森田さんの身体ではすべてを完璧には再現できない。そこに敢えて挑み、振付の継承と上演の個別性を問う批評精神に満ちた試みだ。障害のある森田さんが試みることで正否を超えたダンスアーカイヴへの視点が際立つ。憂いに富んだピアノ曲で柔らかく動くダンスが、亡き子を偲ぶダンカンの思いを引き継いでいる。
 

 
『遊ぼうよ』福角宣弘さんのソロ。車椅子を自在に操る気ままな散歩は福角さんの日常、自由な生きざまを映し出すものだろう。パフォーマンスの途中で車椅子を降り、腕の力で床上を進むと、再び車椅子に、いつもとは違う姿勢で乗る。障害のある身体と車椅子の固定化されたイメージを覆し、遊んでみせる心意気を感じる。スマホで撮ったリズミカルで抽象的な映像がコンテンポラリーな味を出している。
 

 
『溶け合う心』はKAZUKIさん、大城桜子さん、福角幸子さん、田村みくりさん、SO-MAさんによる集団創作。ろう者である大城さんの孤独な心に語り掛けるKAZUKIさん。手話の動きはダンスになり、リズムとステップが生まれる。そこに仲間たちが加わり、心を寄せ合う祝祭的なダンスシーンが花開く。『風になりたい』のサンバ調の音楽と5人のダンスに観客も心躍らせる幸福な時間となった。ここで第一部が終了。
 

 
休憩後、第二部の最初は、『ウィルチェアー×ウィルチェアー』田村みくりさんと福角宣弘さんのデュオ。様々な技を駆使した車椅子走行にワクワクする。二人の動線が舞台を行き交い、上体をひねればジグザグ走行、前輪を持ち上げて静止する技「ウィリー」も披露。途中で競技用車椅子に乗り換えると一段とスピードが増す。車椅子によって開かれ、拡張する身体の可能性を見た。
 

 
『孤独』SO-MAさんのソロ。日本語歌詞のヴォーカル曲をバックに、床に横たわったり足踏みで音を出したり、悲しみや苛立ちを含めた心模様が表現される。ブレイクダンスのキャリアを思わせるキレの良い腕使いやグルーヴ感と、型にとらわれないコンテンポラリーダンスの振付が融合し、音楽と相まって、誰しもが持つ歌心、踊り心が掻き立てられる。
 

 
『2;view』KAZUKIさんと福角幸子さんの掛け合いが楽しいデュオ。幸子さんに教わりながらKAZUKIさんが車椅子に乗ってみる。ウィリーの技を決めてご満悦、或いは操作に手こずって汗を拭く場面も。互いの異なる身体が、生きる作法を交換しながら少しずつ理解を深めていく。コメディ調のマイムのやりとりがチャーミングだ。
 

 
『最初で最後のLOVE SONG』大城桜子さんの歌と手話/身振りによるソロ。ろう者の大城さんの発音には子音などに特有の響きがあり、歌うメロディは聞いたことのないものだ。聞こえない大城さんの心の内で鳴っている音楽を、観客は耳を澄ませて真摯に聞こうとする。「その歌をぼくだけが知ってる」と歌う大城さんと、その孤独に心を寄せる観客とのあいだに、奇跡のような時間が生まれていた。
 

 
『和プラス輪』KAZUKIさん、SO-MAさん、福角宣弘さんの「男組みみび」によるトリオ。和太鼓が鳴り、それぞれの仕方で音に合わせリズムを取る。KAZUKIさんは床を叩く振動で他の二人とリズムを共有する。福角さんの腕の力で全身を宙に浮かせる力技、空いた車椅子に乗ってスィーと走るSO-MAさんの遊戯。3人の異なる身体で思い思いに動きを繰り出しつつ、要所でユニゾンを決める、男前の踊りだ。
 

 
『WATASHI』田村みくりさんのソロ。変化に富んだガーシュインの音楽「ラプソディー・イン・ブルー」で踊る。照明もカラフルに変化した後、やはりブルー一色へ。車椅子を操作しながら踊る田村さんのダンスは、リズムを先取りし、音楽の根っこから躍動感を引き出し、踊る喜び、生きるエネルギーに溢れている。床に降りて手で車椅子をくるくると回す場面は、さながら車椅子とのデュオ。
 

 
『日本の四季』KAZUKIさん、大城桜子さん、武内美津子さんの3人が和服姿で春夏秋冬を表現。視覚障害者の武内さんと、ろう者であるKAZUKIさん、大城さんでは抱いている季節のイメージが違うという。互いの異なるイメージを幾重にも重ね、舞い散る桜の春を、床を踏む音で夏の雷を、和歌で秋の風情を、焚火で冬をと、手話を超えた手振りの巧みさと、手振り以外の多彩な方法を駆使して、季節の景色や風物を描き出した。
 

 
『であう からだ』森田かずよさんのもう一つのソロ作品。横たわる身体と床の関係、動きに伴う重心の変化など実況を語るナレーションと、並行する動き。森田さん自身による解説の言葉は自身の身体への振付であり、動きをその場でスケッチする記述・記録でもある。第一部のダンカン作品と並んで記譜/アーカイブに関わる興味深い取り組みで、森田さんの身体の固有性に大きく負ったドキュメントでもある。サティの音楽とともにしっとりと思慮に富んだ内省的なパフォーマンスだった。
 

 
全プログラム15作品が終了した。暗転の後、あらためてジャズのリズムが入り、カーテンコールの音楽が流れると、出演者8名が再び舞台に現れ、ラストの踊りで締めくくる。祝福に満ちた時間を惜しみながらの閉幕となった。
 
 
上演後、出演者揃ってのアフタートークでは、あらためて文化庁委託事業である本プロジェクトの意義について、文さんから説明があり、2019年に始動した「こんにちは共生社会 ぐちゃぐちゃのごちゃごちゃ」の一環として障害のある人もない人も、様々なルーツを持つ人も共に暮らせる社会の実現を目指すこと、障害がありプロフェッショナルな活動を行うコレオグラファー、ダンサー、アーティストのための創作環境を育むこと、外部から演出家を招かず自身で振付、演出を行う公演であること、11月末のキック・オフ・ミーティングで集まったメンバー全員で『未知なる見たことのない美しさ(未見美)』とタイトルを決めたことなど、企画の趣旨が紹介された。

 

2日間の本番を終えた出演者たちからは、クリエーションの過程で得た実感や発見について貴重なコメントが聞かれた。今回のメンバーには異なる障害をもつ人たちが集まっている。SO-MAさんは今回初めて出会った障害ある人たちとダンスを踊ることに、最初は不安があったという。「男組」では互いの身体をシェアし見せ合うことで、一緒に取り組んでいこうと決心できた。KAZUKIさんに(振動で)音を伝えなくてはと自ら責任を負いつつ、ハンディキャップを共有し、支え合い、理解し合って作り、踊ることができたと「男組」メンバーへの感謝を口にした。

 

武内美津子さんも、見えない自分と聞こえないKAZUKIさん、大城桜子さんとの組み合わせで共演するにあたり、コミュニケーションをどう取るかに直面した。KAZUKIさんの出す音を聴いて自分がどこにいるかを知り、自分の出す音を(聴覚情報ではなく)振動によって伝えることでKAZUKIさんや大城さんと互いを把握し合ったという。

共演したKAZUKIさんからは、まずは互いに出来ることを話し合い、ともに日本人であることに共通項を見出して日本の四季を描こうと決めた。取り組むうちに、見えない人の捉える四季と聞こえない人の感じる四季のイメージが全く違うことに気付いたという。このエピソードは観客にも大きな気付きをもたらしたようで、多くの人が頷いていた。障害者の間の違いのみならず、障害者と健常者、また健常者同士の間でも、物事の捉え方やイメージの違いはむしろ前提としてあるのだとすれば、違いに丁寧に向き合うことが、それまで至ることのなかった豊かな表現やコミュニケーションを生むことを可能にするのではないかと思われた。

 

今公演では全員がソロをはじめ複数の作品に出演している。最も出演者数の多かった作品について、大城さんは、5人がみな初対面で障害の違いのみならず、個人のもつ欲求の違いといった難しさにも直面し、悩みながらミュージカルの台本を書いたと話す。聞こえない自分には考えを伝えることが難しいが、「すべてを言葉で書き留める必要はないのだと気づいたとき、心に抱えてきた苦しみを舞台の上で吐き出すことができた」と、皆で心を一つにして成し遂げた喜びと、次に繋げていく希望を語った。

 

障害によって身体が負う制約や負荷を必ずしもマイナスに捉えないコメントもあった。田村みくりさんは福角宣弘さんと出会って、こんなに車椅子のテクニックに長けた人がいるのかと驚いたという。今回デュオを組めたことが嬉しく、競技用車椅子も乗りこなしながら、どのような動きが可能かを楽しみながら追及した。

みくりさんや宣弘さんのように車椅子で多彩な技をこなす作品がある一方、福角幸子さんとKAZUKIさんのデュオでは車椅子を実際に使いこなすことの難しさ、車椅子を身体にフィットさせるために細かい工夫やコツがあることなど、当人以外では気付きにくい事柄に言及した作品もある。どのような障害も一つの側面でのみ語れるものではない。環境、道具、置かれた条件や状況と身体の間に最適解を見つけて生きる技法があり、そうした技法もまた多様であるのだ。

 

自ら作品を作るトライアルについて述べた人もいる。福角宣弘さんは振付をしてもらった経験はあるが自分でソロを振り付けたのは初めてだという。舞台で何をしたいのかを考え、「車椅子そのものを見せる」とのテーマに行きついた。毎朝の犬の散歩時に車椅子の荷物用ネットに入れたスマホに映った映像を、遊び心で使ってみた。その気負いのなさに、障害のある身体を抱えつつ自然体で生きていく、揺るぎない姿勢を垣間見た思いがする。

 

福角幸子さんも初めてのソロの振付にあたり、他の人に比べて動ける範囲が少ない自身の体で何をどう表現するかを考えた末に、自らの不随意運動をテーマにすることを選択した。字幕を付ける(手話通訳の三田宏美さんがスケッチブックに文字を書いて舞台端から客席に示す)ことは昨日決めたという。上、下……と発語することの意味をどこまで伝えられるか、伝えるべきか、表記も含めて皆で考えた。伝えること、コミュニケーションの作法への配慮とこだわりを追求した舞台でもあった。

 

自らの表現を振り付けることは、自らの欲求や生き方をみつめることでもあるだろう。森田かずよさんの二つのソロは、障害ある身体がダンスを踊ることの意味を根本的に思考しようとする姿勢が形になった。第二部で発表した作品は、自身の踊る身体がどのような感覚を経験しているのかを、内側で感じることと外側から見えていることの双方から言葉にしたかったという。自分の言葉を録音する、いわばオーディオのスコアを作ることを振付の方法の一つとして面白く思いながら試したと。これについて文さんから、その方法でデュオの相手など自分以外の人にも振付ができるのではないか、と前向きな応答があった。障害のあるなしに関わらず振付と身体、感覚、意識の関係を考察する興味深いトライアルと言えるが、森田さんに固有の身体の在りようがあってこそ見出された方法論でもあり、ここからの議論の広がりを予感させる。

 

最後に、ファシリテーターとして共に走ってきた文さんは、自身で作品をつくる今回の経験を出発点に、たとえ短くとも、この自分の身体とはどのようなものであるかと考えながら、是非これからも作っていって下さいとダンサーへ向けて言葉を送った。またその場にいたすべての人に向けて「この日が始まり」であり、「障害のある人の」と言う必要のない社会の到来を願い、来年、再来年とプロジェクトを続けていきたいと希望を語り、終幕となった。(了)

 


 

テキスト|竹田真理 (Takeda Mari)

ダンス批評。関西を拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした取材・執筆を行う。毎日新聞大阪本社版、舞台芸術評論紙「Act」ほか一般紙、舞踊専門誌、公演パンフレット、ウェブ媒体等に寄稿。ダンスを社会の動向に照らして考察することに力を注ぐ。国際演劇評論家協会会員。

Share

  • facebook
  • Twitter
  • LINE
共生社会ロゴ

こんにちは、共生社会とは

障がいの有無、経済環境や家庭環境、国籍、性別など、一人一人の差異を優劣という物差しではなく独自性ととらえ、幾重にも循環していく関係性を生み出すことを目的としたプロジェクトです。2019年に神戸市長田区で劇場を運営するNPO法人DANCE BOXにより始動しました。舞台芸術を軸に、誰もが豊かに暮らし、芸術文化を楽しみ、表現に向かい合うことのできる社会をめざす、多角的な芸術文化創造活動です。

詳しく見る