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レポート

テキストアーカイブ|触れる、聞く、嗅ぐことから…新しい“ユニバーサル・ミュージアム”を考える

2019.08.04

出演:広瀬浩二郎(国立民族学博物館)、角野史和(一級建築士事務所こと・デザイン)、中元俊介(福祉事業型「専攻科」エコールKOBE)、吉川史浩(Water Ground Mountain)
進行:横堀ふみ(DANCE BOX)

 
 

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角野史和さん、中元俊介さん、吉川史浩さんがまず自己紹介を行って、広瀬さんがこの日、新長田のまち歩きをしてみた感想を話してから、3人による広瀬さんへの質問タイムがはじまりました。
ここでは、広瀬さんのまち歩きの感想から掲載します。
 
なお、この秋には「下町芸術祭」のプログラムとして、広瀬浩二郎さんによる新長田でのまち歩きが計画されています。
▶︎詳細はこちら
 


 
広瀬: まず商店街を歩いてきて、わりと大きな通りで音楽なんかも流れていたので、それなりに元気な商店街なんだという感じがしました。広い道を歩いているときはあまり左右の感覚ってわからないのですけど、それが路地になると迫ってきて、いろんな音も聴こえてくるので、今日は路地を歩かせてもらったのが楽しくて、まちの雰囲気がわかりました。やっぱり路地に入るといろんな匂いがして、生活してるんだなというのが伝わってきます。
 
僕は不勉強で海がこんなに近いと思ってなくて、なんとなく潮の匂いがしてきて、ふと気づいたらチャポチャポと波の音が聴こえて、ウミネコですか…が鳴いてたりして。個人的に面白かったのは、そこにおじさんがたむろしていて、帰ってきた漁師の方かなと思ったら、どうもそうでもないらしくて、日本語なんだけど最初から最後まで何を話してるのかまったくよくわからなかった。それでも楽しげに話していて、地元の人なんだなという感じで。
 
後半は市場の方へも行ってみて、すごく細い道を歩いたりして、ベトナム料理店に入りました。まず、その第一印象はうるさい(笑)。みなさんベトナムの方なので内容はわかりませんけど、楽しそうにしゃべっておられて。店のおばさんは日本語が話せる方だったので、注文をして、食べて、「おいしかったです」と言って出てきましたけど、やっぱり独特の雰囲気でほんとにベトナムにいるような感じがして、暑かったうえに、熱いものを食べたので汗だくになりましたけど、食べるということは見えない者にとって、まちを感じるうえでやっぱりすごく大事だなと思います。
 
僕も最近、「ユニバーサルツーリズム」という言葉を使うことがありますけど、ユニバーサルミュージアムという博物館での実践をまち歩きにもどんどん応用していこうという発想でいます。ところが、研修会や講演なんかに行ってみると、いろんな障がいのある人が旅行すること、イコール、ユニバーサルツーリズム、インクルーシブな社会なんだという言われ方をしていて、たしかにその発想も大事なんだけど、ここのプロジェクトで言ってるような「ぐちゃぐちゃのゴチャゴチャ」というのは、そういうことではなくて。たとえば、視覚障がいの人がまち歩きでは、匂いや触るってことをメインに考えるんだけど、別にそれは見える人にとっても応用可能で、普段の視覚中心のまち歩きじゃなくて、触覚や嗅覚にフォーカスしたまち歩きをしてみましょうと。そうすれば、これは「ぐちゃぐちゃのゴチャゴチャ」のユニバーサルツーリズムになってくるので、せっかく新長田でチャンスをいただけるなら、そういう一歩進んだ企画ができたらいいなと思っています。
 
 

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角野: 広瀬さんは「無視覚流まち歩き」という言葉も使われてますよね。ユニバーサルツーリズムよりも、そっちのほうがしっくりくる気がしました。
 
吉川: 広瀬さんがユニバーサルツーリズムのようなことをこれまでにされてきた中で、参加者の方がどんな反応をして、どんな感想があったのかを聞いてみたいです。
 
広瀬: そんなにたくさんやってるわけじゃないですけど、評判もよかったのは、大阪の空堀でのまち歩きです。空堀のNPOに協力依頼をして、最初は、僕ともうひとりの視覚障がい者でお願いにいきましたら、向こうの方々も視覚障がい者を受け入れるのは初めてだということでかなり戸惑いがあって、警戒をされながらもこちらが押しかけていって、とにかく顔を付き合わせるうちに話を進められました。空掘も昔ながらの商店街で、商店街がとても協力的でしたので、いっしょに巻き込んで、たとえば、かつお節を実際に削る体験をやってみたり…それも当初は、NPOの方から「目が見えないと刃物は危ないからムリだ」と言われましたけど、「とりあえずやりましょう」ってやってみたら、案ずるより産むが易しでやれて、そういう打ち合わせを重ねました。結果、目の見えない人と健常者がざっくり半々くらいで集まって、基本的にはペアで歩く形のまち歩きを行いました。商店街の方々もサービス精神が旺盛だったので、結構いろんなものをただで出してくれたりということもあったし、空堀は地形に起伏があって、坂を感じたりだとか、場所によって日の当たり方が違っていたりもしたので、視覚障がいの人も健常者も視覚以外の感覚で楽しむというところに反応してくれた印象がありました。秋に新長田でまち歩きができるなら、角野さんと何度か安全確認もふくめて下見をして、打ち合わせを重ねることが、まち歩きを成功させるには大事なのかなと思います。
 
角野: 今の話を聞いてると、なんか無料で食べ物を出さなあかん気がしてきました(笑)。
 
吉川: どの店やったら出してくれるやろうって、ちょっと想像しましたね。
 
角野: 僕にそんな力あるかな(笑)。ハードルが上がりましたね(笑)。見える人と見えない人が半々ということですけど、そこでコミュニケーションとかもあったんでしょうか。
 
広瀬: 視覚障がい者のひとり歩きは危険ですから、見える人と見えない人がペアで歩きました。こちらの7月のキックオフ・ミーティングでも「距離感」というキーワードが出ていたと思いますけど、視覚障がいの人と晴眼者の人では、歩くときの距離感が明らかに違います。今日、僕が新長田を歩いたときには横堀さんの肘を持たせてもらって歩きました。これって、よく言われるのは、たとえば男女のカップルでデートをするときに、一番むずかしいのは手をつなぐところまでに非常に時間がかかるんだけど、視覚障がい者はそこを飛び越えてすぐに近寄れるじゃないか、恵まれてるみたいなことを言われて…僕は自分のうん十年の経験から全然そんなことはないと思うんですけど、距離感ということでいえば、たしかに肘を持たせてもらうって文字通りの触れ合いですよね。そこで親しくなれる部分はある気がしますし、特にまち歩きの場合は、おおげさにいえば、これはノンバーバルコミュニケーションで、肘に触れてることでいろいろ伝わってくるわけです。階段を上がるときには肘が上がるし、ちょっと怖いところを歩いたり警戒するときにはこちらもぎゅっと握ったりすることもあるので、これを触れた点でのひとつの新しいコミュニケーションだと考えると距離感が縮まる気がします。だから、まち歩きをする前には準備体操のように、触れた点を意識して動くみたいなことをしてから、まちへ出るようにしています。そうすると、私は誘導する人、あなたは誘導される人という意識が少しなくなって、その分、一緒に楽しむという意識が出てくるような気がします。横堀さんは今日歩いてみてどうでした? ずっと連れて歩くというのはうっとおしかったでしょうけど(笑)。
 
横堀: このままどこかに飛んでいきそうな子どもを引き止めながら歩くような感じがしました。でも、広瀬さんと歩くのはドキドキしましたね。自分の思てることを全部見抜かれてそうで。そのドキドキも全部伝わってるんだろうなと思って。それもすごく楽しかったです。
 
中元: ちょっと話がズレるかもしれないですけど、触れること自体が踏みこんでいくことなんだろうなと、そして、そういう触れることがコミュニケーションなのかなとお話を聞いてました。僕は、芸術的な感覚で考えるところが多くて、コミュニケーションをとることがアートだと感じているので、その触れて、嗅いで、感じてっていうまち歩きからコミュニケーションが生まれるというのがいいなって。
今日はじめて広瀬さんとお会いしたとき、最初って何をしゃべったらいいかなと思いながら、僕ら沈黙してしまったんですよね。広瀬さんに会って挨拶をした後に。沈黙したときに気を遣うっていうとあれですけど、広瀬さんは沈黙をどういう風に感じてるのか。見えないからこそ感じてることもあるのかなって。
 
広瀬: 僕もおっさんなので、だんだん図々しくなってるんで、あまり考えないようにしてますけど、やっぱり沈黙は苦手で。いちばん僕らが苦手なのは立食パーティーで、それは沈黙とは違いますけど、たとえば、知らない間に角野さんが来て、知らない間に中元さんが去ってるというようなことがよくあるんです。周りがガヤガヤしてるとよくわからなくて、さっきまで中元さんと話してたから、「え、中元さん、なんとかだよね」って言うと、もう中元さんはいなくて返事が返ってこない。で、角野さんが「あれ、中元さんはもういないよ」って言われたときに、その恥ずかしさというか、その場にいられないような感覚。これはなかなか慣れないものです。立食パーティーでもういっこイヤなのは、僕はわりと大食いで、そんなにお酒は飲みませんけど、飲みっぷりもいいと思われていて、知らないうちに結構注がれてる。もうお腹いっぱいだからいらないや、と思ってたら、いつの間にかまたよそわれて、しょうがないから食べたら、「やっぱり大食いなんだ」と思われて、またよそわれて(笑)。だから、特に視覚障がいの人とコミュニケーションの場合は、声かけが大事で。これ、親しくなるほど忘れられるんですけど(笑)、ごめんなさい、質問からちょっとズレましたけど、たしかに沈黙されると相手が何やってるのかはわからないので、沈黙しても気配は消さないでほしい。ゴホンゴホンってやるとか、資料を読んでるならガサガサ音をさせるとか。あと、ついでにいうと、吉川さんも中元さんも福祉の仕事をされてるから語弊があったらよくないですけど、「ふれあい」という言葉が障がい福祉の世界では使われていて、僕はその「ふれあい」ってイヤな言葉で、マジョリティの側が「さあ、ふれあいですよ。障がい者の方もどうぞ」って感じを感じなくもない。もともとの、漢字で書く「触れ合い」は相互接触ですから、いい言葉のはずで、さっきから話してる一緒に歩くというのも触れ合いですよね。漢字で書く「触れ合い」を大事にして、ひらがなの「ふれあい」と区別して使ったりしています。もうひとつ、中元さんから芸術の話が出て、絵画は難しいですが、彫刻作品を触るというのは、おおげさに言うと作者とコミュニケーションしている、作者の制作を追体験してるみたいなことになります。作者の思いや、どんなエネルギーを込めてこれをつくったのかを想像しながら触ると、それがたとえ間違ってたとしても作品とのコミュニケーションであり、作品の向こうにいる作者とコミュニケーションできるので、特に彫刻や立体物の場合は、触るというところがひとつの強みになるんじゃないかなと思っています。
 
吉川: 角野さんもまち歩きでめっちゃ触るじゃないですか。
 
角野: そうですね。東京駅にあるKITTEという建物は、足もとにすごくなめらかな曲線が使われてるんですね。柱とか、もとはひとつの石だと思うんですけど、それを目で見るだけじゃもったいない、触りたい、「ほんとに石だ!」みたいな…たまらない(笑)。たぶん、鑑賞に触覚を使うのはとても贅沢なことで、僕なんか形を目で見るだけではもったいないという気持ちで触ってるんですね。それはすごくいい体験になるんちゃうかな。
 
横堀: 角野さん、もし新長田のまち歩きのなかで、触るんやったらここやみたいなのってありますか。
 
角野: 新長田は匂いとか、あるいは狭さとか、そんなんを感じてもらえたらと思ってるんですけど…海の匂いもあるし、どちらかといえば、ぱっと思いつくのはそっちですね。食もそうだし。真野地区って隣り町ですけど、そこはゴムの加工が多くて、ゴムの匂いがすごくするんですね。範囲が広くなりすぎるので難しいかもですが、歩いて匂いを感じることでまちの文化がわかるみたいなことは、すごくいいなと思ってます。
 
 

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吉川: 靴工場の音とかも面白いかもしれないですね。うちのクライミングジムの上が靴工場になっていて、ブイーンとか、ガコガコって音がするけど、想像してもどんな機械が全然わからへん。その音を聞いてたら見に行きたくなりますもんね。
 
角野: マイク持ったついでに広瀬さんに質問させてください。今日、広瀬さんが紹介してくださった新聞記事の見出しに「野生の勘の取り戻し方」って書いてありましたけど、僕もまち歩きをやってると「この路地におうな~この奥行ったらなんかあるな」とか、そこは研ぎ澄まされていて、まあまあ当たるんですよ。実際の匂いじゃないですよ。僕は目で見る感覚を「何かにおう」と置き換えて、そこに行くわけですけど、広瀬さんもまちを味わうときにそういう感覚ってあるんですか。
 
広瀬: うーん、それとはちょっと違うかもしれないですけど、食べ物屋さんに入ったとき、なんとなくここはおいしいとか、まずいとかみたいなのを感じます。それは音や匂いだと思うんですけど、逆に、視覚に惑わされずに、こぎたない店でも実はここはおいしそうだなというのはあるのかなと思います。
 
角野: 床のベトベト感とかかな。
 
広瀬: その「野生の勘」というのをちょっと解説すると、僕の専門の人類学の話になりますけど、レヴィ・ストロースという人類学者がいて、彼が『野生の思考』という本を出しています。人類学では古典的な重要文献ですけど、レヴィ・ストロースによれば未開人と文明人がいて、未開人が劣っていて、文明人が優れてるって、わりと二者択一に考えられてきたのが、実はそうじゃなくて、未開人は野生の思考というのを持ってるんだと。文明人も本来それを持っていたんだけど、文明という名のもとに野生の思考を忘れかけてるんだというんです。この図式は、健常者と障がい者にも当てはまって、たとえば、僕は視覚を使わないで歩いてるけど、時代をさかのぼれば、暗い夜道を星明かりをたよりに歩くなんてことは、誰でもやっていたことで、そういうみんなが持っていた感覚が、いろいろ便利になると失っちゃうところもあって。角野さんがおっしゃるように、自分が持ってた「何かよくわからないけど、たぶんこっちやろ」みたいな感覚、それを幸か不幸か、わりと色濃くのこしているのは障がい者の方なんじゃないかという気がします。だから、当然、障がいをとりのぞく努力もあるけれど、逆に障がいのある人が持つ野生の思考、野生の勘みたいなことを再評価しようと思って、野生の勘という言葉を使っています。
 
角野: なるほど、ええな。アイマスクをしてまち歩きをしたら、もっと敏感になれるかもしれないですね。
 
吉川: たしかに、カーナビを使いはじめて道を覚えなくなりましたもんね。逆に、山へ行くときって紙の地図を持って、コンパスで歩いたりするから絶対に忘れないんですよ。「ここちょっと上がったら目的地かも」みたいな感覚的なところが研ぎ澄まされてるかも。
 
広瀬: さっき言いそびれたんですけど、建物の壁を触るのって楽しいんですよ。なので、角野さんには新長田の壁をぜひ探していただきたいです。僕はいま、京都国立近代美術館のプロジェクトを手伝っていて、展示品には絵画が多いのであまり触れるものはなくて、それなら美術館の建物を触ろうかって、学芸員の方に建物の素材をいろいろ説明してもらって、建物を触りまくってます。やってみると、美術館はおしゃれな建物で、素材にもこだわってるからわりと面白くて、室内の柱でもツルツルになってるけど、手を伸ばして上のほうを触ってみたらザラザラだったりして、やっぱり下の方は人に触られてるんだなというのがわかったり。階段がおしゃれな構造になってるのでそれを触ってみたり、裏側にまわってみたり。そういう建物を触って楽しむこともしたいので、角野さんにはぜひ触り甲斐のある建物を探していただけるとうれしいですね。
 
角野: 建物はありますね。駒ヶ林の路地の入り組んだところに、和洋折衷の角野邸という建物があって、もとは漁業の網元さんの建物なんで、すごくいい材料を使ってるので、なめまわすように触るといいかもしれないですね。
 
中元: 保育園もいいですよね。階段の手すりがすごく気持ちいい。
 
角野: 手すりは触ってしまいますよね。広瀬さん、いい手すりありますか、今までに触った手すりで、これはよかったなみたいな。
 
広瀬: やっぱり美術館の手すりは、それぞれおしゃれなんです。あと、話が違うかもしれないけど、駅の手すりって、視覚障がい者でも普段からひとり歩きをしてる人であれば、駅の階段みたいな規則正しい階段は別に苦にならない、手すりを持たずに杖でカンカンってやりながら歩けるんですけど、ときどき手すりに点字で「何番線は何」とか案内があるんです。僕がひとり歩きするときにそれを使うんですけど、意外とあの点字がつぶれてたりするんですね。たまにガムが付いてるやつとかあったりして、そういうのを見つけると怒りというか、悲しくなることがありますね。
 
中元: 僕らがガムをとっていけばいいんですね。
 

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横堀: 実は予定時間を過ぎてしまっているので、お帰りにならないといけない方はいつでもどうぞ。あと10分、15分くらい延長しても大丈夫でしょうか。…じゃあ、あと10分くらいをお話の時間ということで。
 
中元: どうしても聞きたいことがひとつありまして。その前に、広瀬さんは恋愛感情として、女性が好きな男性でよかったですか。
 
広瀬: はい。
 
中元: そうなったときに、視覚障がい者の人が美人だという女の人ってどんな人なのかなって。そういう恋心がどこから生まれるんだろうってヤボな質問ですけど。
 
広瀬: それは非常によく聞かれるんです。大事な質問だと思います。やっぱり、なんだって感じでしょうけど、声ですね。しゃべり方、イントネーション、間のとり方などから、年齢やどういう人なのかとかをいろいろ想像して、一目惚れに当たりハズレがあるように、当然、ひと耳惚れにも当たりハズレがあるんですけど(笑)。第一印象の声というのはすごく大きいと思いますね。
 
中元: ちなみにどんな声が好みですか。
 
広瀬: どうでしょうね…もう今はすっかりおばあちゃんになってますけど、昔は松坂慶子とかのしゃべり方が好きだったりしました。
 
中元: あ、艶っぽい感じか。
 
角野: なにを分析しとるんや(笑)。
 
広瀬: だけど結局、振り返ってみて、今まで好きになった女性に共通点があるかといえばそんなにないし、すごくいい声だったかというとそうでもないような気がします。
 
中元: 第六感みたいなところでしょうか。ありがとうございます。
 
角野: これは、ちょっと難しいんですけど…「映え」ってあるじゃないですか、インスタ映えとかの映え。視覚でみなが楽しんで「映え」って言ってるんですけど、広瀬さんの映えに対抗する作戦ってなにか思ってはることがありますか。
 
中元: 「触り映え」的な?
 
広瀬: そうですね、まず、自分のしゃべったことと矛盾するかもしれないけど、僕、見える見えないに関係なく、そんなにファッションとか気にしないタイプで、最近では人前でしゃべったりすることもあるので、あまり突拍子もない格好はしないようにして、家族に確認してもらったりとか、多少なりとも見栄えするものを着て。世の中、視覚中心ですから。「いや、おれは触るだから裸でいいだろう」って、そこまで過激にはなれませんので(笑)。そういう意味で、「触り映え」とおっしゃてくだいましたけど、これは芸術鑑賞にも関わってくるんですけど、触って感じる美とは何か。これを考えはじめると難しくて、答えが出るわけでもないんですけど、来年に(国立民族学博物館で)計画している特別展では、いろんなアーティストに協力してもらって、触って楽しめるもの、触って美しいものってなんだろうってみんなで考えてみたいと思っています。
 
角野: そっか。言われてみれば、いわゆる「映え」って視覚優先のものに対する活動ですよね。触り映えするものは何なのか。追求していく作業も面白そうですね。
 
横堀: じゃあ、最後に吉川さん。
 
吉川: 最後、感想みたいになりますけど、意外と自分も触って何かを認識して、確認してることがあるんだなとお話を聞きながら感じました。僕らはロッククライミングをするときに、ロープを出したり、カラビナという連結器具を使ったりするんですけど、その不具合を感じるのは、触っていつもと同じ動きをしないときに「あっ、おかしいな」となって、後から見る。触るほうが先。ロープを結んだ形とかでも、触って感じている。意外と生活のなかで触るという行為によって確認するということを自分もやってたんだと思いました。それに気づけたことは、触るのを楽しみにするみたいな、自分の感覚がちょっと広がった気がしてよかったなと感じました。ありがとうございます。
 
 

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この後、広瀬さんの指示のもと、会場全員で身体を動かすことをやってみました。
2人で1組になって、正面打ちのように相手が振り下ろす腕を防ぐのですが、その防御姿勢をとるのを目で見て/声を聞いて/触わった点に意識を集中して/の3パターンで体感。触覚にしたがって動くことが、視覚や聴覚に比べても圧倒的に早く反応できることを実感しました。

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こんにちは、共生社会とは

障がいの有無、経済環境や家庭環境、国籍、性別など、一人一人の差異を優劣という物差しではなく独自性ととらえ、幾重にも循環していく関係性を生み出すことを目的としたプロジェクトです。2019年に神戸市長田区で劇場を運営するNPO法人DANCE BOXにより始動しました。舞台芸術を軸に、誰もが豊かに暮らし、芸術文化を楽しみ、表現に向かい合うことのできる社会をめざす、多角的な芸術文化創造活動です。

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