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レポート

[テキストアーカイブ②] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第2部:新長田で<在日外国人>と共に歩む活動から

2019.07.07

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。こちらでは、第2部の内容を掲載します。

第2部
登壇:野上恵美(ベトナム夢KOBE)、パク ウォン&趙恵美(スタジオ・長田教坊)、金信鏞(神戸コリア教育文化センター)、ファン・チォン・クォン(VIAN)、近藤美佳(ベトナム語通訳)
進行:角野史和(ことデザイン)
 
 

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第2部

 
文: 第2部の進行は、角野(かどの)史和さんです。角野さん、よろしくお願いします。
 
角野: お願いします。第2部は「新長田で在日外国人と歩む活動から」ということで、僕、これ、変なん持ってきてますけど、さっきまでダンスパフォーマンスをしてましたから、テンションあげるのが大変なんですよ。なので、お酒を入れないとアガらないんですね。で、新長田はちょっと行けばベトナム料理屋さんがあったりして、これはココナッツのお酒で25度あるらしいんですね(会場「へー」)。それをグッとみんなでやって、この場にきております。ということで、お酒入っておりますが、よろしくお願いします。それではみなさんご紹介させてもらいます。…これって、順番に出てくるんですか、まあ、ではどうぞお上がりください。座り方はだいたいでお願いします。どうぞどうぞ。もう、だいたいでいきましょう、さっき事前の打ち合わせでね、結局、こんなん打ち合わせしたってわからへんから、現場の即興でやりましょうかということになって、全員、ノープランで来てますんで。じゃあ、座りましょうか。はい、これはこちらに画像が出てるんですよね。この写真は、神戸コリア教育文化センターの活動写真だと思いますが、いちばん舞台左端に座っておられます、キム シニョンさん。神戸コリア教育文化センター…これは一般社団法人でよろしいんですかね?
 
シニョン: はい。
 

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角野: はい、先に簡単に僕の方から活動をご説明させていただきますと、在日コリアンの9割の子どもが日本の小学校に通っていて、その教育課題ももちろんあるということで、そういったことの活動支援をやられてるというのがひとつ。もうひとつは、在日コリアンの歴史、100年以上あるんですかね、シニョンさん? はい、その歴史を記録していったりとか、そういうこともされておられます。住んでおられる方から古い写真を探してこられたりとか、歴史、生活史料、ライフヒストリーの聞き取り調査…そういったことがふたつめ。もうひとつ、交流の場だったり、学びの場としての「長田在日大学」。あと、コミュニティカフェ「ナドゥリ」。シニョンさん、ごめんなさい、ちょっと、このナドゥリ、正しい発音だと…。
 
シニョン: ナドゥリ。
 
角野: あ、シニョンさん、お名前も正しい発音でお願いできますか。
 
シニョン: キム シニョンといいます。ナドゥリというのは韓国語で、ちょっと気分をリフレッシュして外にお出かけするくらいの、そういう意味があります。
 
角野: もう1枚、画像があったと思うんですが、これが在日大学ですね?
 
シニョン: そうですね。
 
角野: そういう子どもの教育支援、歴史文化の記録、で、交流の場学びの場をつくるという、ざっくりいうと3つの場をつくっていると。ひきつづき、他の方もご紹介させてもらいます。こちらは、長田教坊(キョバン)のパクさん、趙恵美(チョウ ヘミ)さんです。
 
ウォン: パク ウォンです。よろしくお願いします。
 
趙: チョウ ヘミです。よろしくお願いします。
 
ウォン: こちらは息子のパク キョンと、その下がパク ランといいます。
 
角野: キョンくんと、ランちゃん?
 
ウォン: くんです
 
角野: ランくん。えー、スタジオ・長田教坊、こちらも僕の方から簡単にご紹介します。韓国の伝統芸能を、打楽器や舞い、歌だったりとか、そういったことを学ぶ教室ですね、最近はピラティスだとかもやられているということで、教坊という言葉は、朝鮮王朝時代に、宮廷音楽を勉強する音楽学校みたいなもので、そこが教坊と言われてたそうです。その名前をとって、スタジオ・長田教坊ということでやられております。新長田の地理がわかる人は、本町商店街のずっと南のほう、ポット(※スーパー)の向かいですね?
 
ウォン: そうです。
 
角野: 写真が他にもあるかもしれない、ちょっと見ましょうか。
 
ウォン: これが教坊の様子です。こういうところでやってます。
 
角野: 地域のフェスティバルとかにも参加されて。
 
ウォン: そうですね。神戸祭り、長田フェスティバルに出演したときには、うちの教坊に通う生徒さんと、地域の長田に住まれてる方や、よく長田に来られてる方と一緒に舞台に上がって、サムルノリという演奏ですけども、それをやったりしました。
 
角野: 国籍関係なくいろんな人が入ってますね?
 
ウォン: 在日コリアンから日本人、アフリカ人…で、アートマフィアの方も入って。いろんな方がいます。この写真は、ダンスボックスさんをお借りしまして、去年、スタジオ・長田教坊が3周年で発表会をさせていただきました。そのときの様子ですね。鶴舞、ハクチュンというんですけど、それをやっているときの写真です。
 
角野: ありがとうございます。次は、ベトナム夢KOBEから野上さんです。野上さん、正しい発音でフルネームで言ってもらっていいですか。
 
野上: 野上恵美です(笑)。よろしくお願いします。
 
角野: 漢字だともしかしたら同じですかね?
 
趙: そうですね、私と。
 
野上: はい。
 
角野: ベトナム夢KOBEの説明をします。震災をきっかけに、被災ベトナム人の支援をする活動が原点になっておられます。それがきっかけになって現在も続けておられるんですが、在日ベトナム人のコミュニティの支援や、地域のまちづくりに貢献していこうということもされておられます。こちらの写真は、その前者ですね。これは勉強のシーンですか。
 
野上: そうですね。ノートに文字を書いてる男の子が来日してまだ数年で、それでも義務教育の年齢であれば、もういきなり日本の学校に入らないといけない。そうなると宿題をこなしていくのが大変なので、土曜日に宿題を持ってきてもらって、ベトナム語で教えながら宿題を一緒にやっていくという、学習支援教室になります。
 
角野: 他にも写真が…。
 
野上: これは母語教室ですね。真ん中の女性が共同代表のディエップです。ディエップは、結婚を機にベトナムから日本に来たんですけども、周りにいる子どもたちは、いわゆる在日ベトナム人2世といわれる子どもたちで、親はベトナムでずっと生まれ育って、いろんな理由で日本に来て、子どもたちは日本で生まれて育ちます。そうなると母語であるベトナム語が全然話せない、書けない、聞き取れない…かろうじて、お父さんお母さんのベトナム語は聞き取れるんだけども、なかなかベトナム語能力が伸びないということで、自分のルーツである母語、継承語を大事にしてもらいたいなということで、母語教室を開催しています。
 
角野: 母語は僕だったら日本語、母の語ですね、母語教室。はい、こちらの写真はFMわぃわぃ。今日は、金(キム)さん来られてますかね? あ、ありがとうございます。FMわぃわぃは地域のコミュニティFMですね。このラジオを通して、ベトナムの方が日本で住みやすくなるための情報発信をしていくためのコーナーもされているということですね。
 
野上: はい、すこし補足説明させていただきます。私たちベトナム夢KOBEは、私が日本人であるということで、みなさんにも想像していただけると思いますが、ベトナム人のための団体ではあるけれども、ベトナム人と日本人がいっしょになってコミュニティをつくっていくということを大事な目的にしています。それは、ベトナム人がリーダーシップをとるとか、日本人がリーダーシップをとるというのではなくって、お互いなるべく対等に意見を出しあってやっていこうというスタンスで活動していまして、ひとつ、これは象徴的な活動になるかなと思います。タイトルとしては、住みやすい日本を…あれ?
 
角野: 住みやすい日本をつくるための情報番組、ですね。
 
野上: はい。日本人の男性とベトナム人の女性が一緒に意見を出し合って、じゃあ、どうしたらいいか、どうすればベトナム人にとって住みやすいか。ベトナム人にとって住みやすい地域、社会というのはおそらく日本の人にとっても住みやすいものになるはずだろうということで、そういったことを日々、アイデアを出しあいながら、わぃわぃの金千秋さんにもお力を借りながら番組制作をしています。
 
角野: 他にも写真ありますか? 春巻きの写真ですね。これ、僕が最初にご説明しました、地域に貢献することもやっておられますね。
 
野上: 野田北部というところに、私たちの活動拠点があるんですけども、毎年8月にそこの地域のお祭に出店させてもらってます。やっぱりベトナムの人が住んでいるということをわかってもらうために、いちばんみなさんに興味関心をもっていただける食べ物ということで、毎年、ベトナムの揚げ春巻きとバナナ春巻きを販売しております。
 
角野: 揚げ春巻きってなんて言うんですか、向こうの言葉で?
 
野上: 私はちょっと発音がきれいではないですけど、Cha Gio(チャーヨー)。
 
角野: チャーヨー。チャーヨー、ノウン
 
野上: ノウン?
 
角野: チャーヨー、ノウン。
 
クォン: Ngonです。
 
角野: Ngonがおいしいですね。すいません、今ちょっとお手伝いしていただいたクオンさん。正しい発音でフルネーム言っていただいてよろしいでしょうか。
 
クォン: みなさん、ファン・チョン・クォンです。よろしくお願いします。
 
角野: ファン・チョン・クォン。僕はクオンさんって呼んでますけど。
 
クォン: クオンも大丈夫です(笑)。
 

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角野: クオンさんはVIAN(ビアン)を最近立ち上げて、ベトナムの子どもたちが日本で育つと、日本の伝統とかそういったものが自分のなかに蓄積していくばかりなので、ベトナムの文化や音楽とかを引き継いでいくためのライブとかもされてるそうです。この写真はこの場所、ダンスボックスですね。クォン:はい、そうです。
 
角野: ベトナムの方ってカラオケめちゃくちゃ大好きなんですよね? レストランにもカラオケコーナーがあったりとか、旅行先ではスマホで音楽を流して、お手製のカラオケを使ったりして。
 
クォン: そうです。
 
角野: そんなにカラオケが大好きで、なんとここ(ダンスボックス)をカラオケ会場にしてしまったと。この写真に写ってるのはどんな方々?
 
クォン: すいません、今日はベトナム語で話しますね。
 
角野: そうだ、お隣りの紹介を。今日、サポートでついておられる近藤さんです。
 
近藤: 近藤と申します。今日はクォンさんの通訳をさせていただきます。また4部でもお目にかかりますのでよろしくお願いします。
 
角野: クオンさん、先ほどの質問ですが。
 
クォン: (ベトナム語で話す)
 
角野: クオンさん、ひと言が結構長いですね(笑)。
 
近藤: 通訳させていただきます。このプログラムは、日本にいるベトナム人のコミュニティに向けて、そういった方々に対して開かれたプログラムです。ダンスボックスのような、プロフェッショナルなすてきな劇場があるにもかかわらず、どうしてみなさん来ないんだということで、ベトナム人を集めようということで開催しました。そこで演奏をできる方を探して、クォンさんが連絡をして、そういった方を集めました。ただ、集めるのには苦労しまして、それで見つかったのが楽器ができる人、歌が歌える人、ということでしたので、そういった方々に来ていただいて、この回を開きました、先ほどカラオケの話も出ましたけど、なぜベトナム人がカラオケ好きなのか、それは、他に娯楽があまりないのかなという気がしています。手軽にできて、パッと発散できるというのがカラオケに凝縮されているのかなと感じています。
 
角野: なるほど。で、VIANというのは、VIがベトナムを表現して、ANがジャパン、日本を表現してまして、ベトナムと日本の交流を目的にしている。交流の鍵になるものとして音楽や食、あとは言葉。そういったことで交流をはかっていこうというのがVIANのこれからの活動になるかな。いま現在、クオンさんとダンスボックスの横堀さんの2名でされていて、どんどん膨らんでいく予定、というか、可能性があるということですね。
 
クォン: (ベトナム語で話す)(近藤通訳):まずは、こういった娯楽といいますか、みんなで楽しめるステージのプログラムをつくっていくことを考えています。たとえば、日本のゴールデンウィーク、お盆、それからベトナムの旧正月。こうした年中行事にあわせてステージを使っていきたい、その際にはここで開催したいなと思っています。それからもうひとつの活動として、若いベトナム人、たとえば来日したばかりの学生を対象に、日本の生活に慣れるためのサポートをしていきたいなと考えています。たとえば、自分で日本の食材を使ってつくりやすいご飯のつくり方ですとか、そういったことを紹介することによって、学生たちが元気に勉強できたり、元気に仕事ができたり、そういったことを支えていきたいと思っています。あとベトナム人はSNSをものすごく使うんですが、特に普及しているのがFacebookになります。ですので、こちらのファンページなどをつくることによって活動を広げていきたいと考えています。
 
角野: ありがとうございます。あと10分くらいですね。ということで、ごめんなさい、シニョンさんの活動のこと、僕から話すばっかりだったので、ちょっと補足的に。今回、共生というのがひとつのテーマになってるので、たとえば、日本人コミュニティとかまちとの関わりとか、そういったところで補足説明があれば。
 
シニョン: ご存知のように在日コリアンの歴史は、とても長い歴史があります。そのことをなかなか、長田にたくさん住んでいる…たとえば長田の小学校中学校で外国の子どもといったら、かつては在日コリアンだったんですけども、いまはむしろベトナム人の子どもたちが、ものすごい数でいるんです、ひとつの小学校に何十人という単位で。一方、国籍を保持している在日コリアンの子どもたち、朝鮮籍の子どもたちというのは、この我々の活動をはじめて30年くらいになりますけど、かつての10分の1くらい。国籍だけでみるとね。もちろん、ルーツを持っている子どもたちはたくさんいるんですけど。そんな中でこのまちに暮らしてきて、たくさん住んでいること、ほんとにそのことで民族的なアイデンティティを大切にしたり大切にされたり、そういう風にされてよいのかということで。そうではない現状があるんじゃないかということが、今日、私がひとつお話ししたかったことです。私は、年齢的には今日来られてるみなさんのだいぶ上の世代にあたりますけども、長田というのはとても居心地がいいという話が1部でもたくさん出てきました。確かにそういう部分があるかなとは思います。そのことを、私から皮肉っぽく言わせてもらうなら、すごくぬるま湯のなかにいるなと。だからとっても体がほぐれるし、浸かっていて心地はいいんですけども、その心地よさはずっと続くものではないし、そのぬるま湯の心地よさで忘れてしまうものがたくさんあるんじゃないかなと思いながら、ずっと生きてきているところがあって…話が長くなりすぎてごめんな。
 

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角野: いいです。すごくいい話をしていただいてます
 
シニョン: たとえばこんなことがあったんですよ。これは、もう20年くらい前のことですけど、ある学校現場の教員が「在日コリアンの子どもたちにどんな課題があるんですか」って言うんですよね。「日本語もできるし、地域に溶けこんでいるし、場合によっては長田で成功された方もいるしで、どんな課題があるんですか」っておっしゃった方がおられて。「一方、ベトナム人の子どもたちは心配です。日本語を覚えると同時にどんどん母語を忘れていくから、とても心配です」って。在日コリアンの子どもたちがはるか以前に母語を忘れるどころか、獲得することすらできなかった、そのことにはぜんぜん思いが至らない。そういう経験を、現場で感じたことがあって。それからずっと、いま、学齢期の子どもたちってほとんど4世5世ですけど、その子どもたちのアイデンティティをどういう風に培っていくのかというのが、ずっと私たちの大きな課題のひとつで。…ごめん、話が長くなるのですぐに終わります。そのことを、長田のなかでどういう風に取り組んでいったらいいのか、向き合っていったらいいのかと考えながら、歴史をしっかりと記録して…それをどう記録していくのかということで、家族写真を集めようという取り組みをして、家族アルバムから家のなかでのいろんな対話が生まれ、1枚の写真に何が写っているのかという、そういう取り組みからどんどん若い世代が集まってきたりもしたので…大きな歴史は、本から学ぶことができても、まさに、この地域の歴史や、自分たちの家族の歴史というものは、何かのキッカケでそこにたどり着かないとなかなか出てこないものだったりするので、この地域の歴史を掘り起こす取り組みもしています。長くなりそうなのでこのへんで。
 
角野: はい。いま、みなさんのお話を聞かせてもらって、日本で生活していくなかで、自分たちのルーツとしている国のアイデンティティをどう将来に引き継いでいけるのか、そういった意識はなんとなく共通する部分かなと思いました。新長田はよく多文化共生と言われるまちになってきてますけど、いま、シニョンさんがおっしゃられたように、それはぬるま湯じゃないかという話もありました。今日のテーマは「新長田で“共生”について考える」ということで、あえて共生はかっこつきに、おそらくなってるんだと思います。みなさんから見える新長田における共生はいま現在、どういう状況なのか。いきなりぐっと難しい質問になっちゃいますが、どなたか答えられる方がいれば先に。
 
趙: うちの子が行ったり来たりしていてすいません。えっと、いま、この場に座らせてもらっていて、ぱっと思ったことも含めてなんですが…ベトナム、そしてコリアン、で、私は在日4世、彼は在日5世で、シニョンさんがおっしゃったような歴史について、これからこの子たちが何を受け継いで、どう生きていくのかということは、親としてすごく目を向けているところです。ベトナムとコリアンの共通する点としては、戦争というものを経験しました。なので、私たちの、ここに渡ってきたおじいちゃんおばあちゃんたち、そしていま、ベトナムの若い人たちがたくさんここに出稼ぎに来られて、新しく住まれているその活力を見ていたら、すごく、なんだろう…負けん気というか、なんていうんですかね。私も日本に生まれて4世ですから、ほぼ日本の生活になじんでいるけど、なにくそ根性といいますか、そういったものをいい意味で持っていて。
 

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ただ、それも日本にいると、ぬるま湯という言葉を借りるなら、平和ボケしてしまうところがあって。でも、この子たちも同じ学校や園に通っていると、カタカナの子どもたちがたくさんいる中で平和に暮らしているんですが、これがいつ国の情勢によって戦争が起きるかわからないという現状で…すごく重くなってごめんなさい。というところを傷口としてはお互い共有していて、新長田という大きなこのまちが、その傷もこの傷も新たな傷も、一緒にちゃんとなであえるというところが、私にはこの地域のありがたさで。コリアンとしてって肩張らなくてもいいし、ベトナムの人がいようが、ミャンマーの人がいようが、日本の人がいようが、横並びで生きていけるこの地域のスタイルを、この子たちにはなぜそうなのかということも含めて…この子たちは戦争があると韓国に兵士として呼び出される義務を持っているので、そういう部分でもこのまちで生きたことによる、ちゃんとしたものの見方を育てられればいいな…共生をしてくれればなと思っています。
 
角野: もっと先に共生があるという感じでしょうか。クオンさん、いけますか。
 
クォン: (ベトナム語で話す)(近藤通訳):先ほどの件に続いてのことですけども、溶け込むということについて考えてみたいと思いました。ベトナム人も長く日本にいる人はだんだん日本語が上手になって、日本の生活に慣れてきていると思うのですが、やはり若い人たちはまだ難しいのかなと思います。その若い人たちも、たとえば5年後にはベトナムに帰るのか、あるいは、ずっと日本にいるのか、というところでも分かれ道が出てきますから。そういった現状のなか、どう共生をしていくのかが問題かなと考えています。
 
野上: ちょっと話がずれるかもしれませんが、私自身はこういう活動をしながら、多文化共生とは一体なにかということを文化人類学をもとに研究をしています。最近、ある人類学の先生からいただいたコメントで、「あ、なるほど」と思ったのが、この長田での共生の実践について、お話しさせていただいたときに、「これは忍耐の政治ですね」と言われたんです。私は日本人という立場で、まさにぬるま湯に浸かっている立場ではあるけど、それでもあえて言わせていただくと、やはりベトナム人の方といっしょに活動をしていくなかで、いかに我慢を強いてきたか…決して私が我慢しろと言ってるわけではないですけど、無言の圧力というのか、が、きっとあったんだろうなと思います。それを遡って考えると、それは、在日コリアンの人たちにも何も言わないことによって、すごく忍耐を強いてきたんだろうな、と。我慢という言葉はあまり使いたくないですけども、こちらが勝手に押し付けてきた我慢というものを、どれだけマジョリティである日本人が…我慢というのも、よく言えば譲り合いなのかもしれないけど、そういったことをどれだけみんなで分配していけるかなというのが、共生のあり方を考えることにつながるのかなと…ちょっと漠然とした話をしてしまいましたが、長田での活動を通して、そういったことを考えています。
 

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角野: ではシニョンさん、時間的にこれが最後になってしまうかもしれないですけど。
 
シニョン: 最後、短く終わりますね。ほんとに自分のなかで思うのは、別に長田に限らず、やっぱり一人ひとりが大切にされるということやし、一人ひとりは見える存在として、いるということじゃないかなと思います。それともうひとつだけ。これは、在日コリアンのいまの子どもたちに対するメッセージとしてこの1~2年思ってることは、在日コリアンの子どもたち、4世5世のアイデンティティということを考えるときに、いつも過去からアイデンティティを学ぶみたいなところが私にはありましたけど、そこから次、アイデンティティの次を…どう言うたらいいかね…その次の光を自分たちがどう提示できるのかなって。ごめんなさい、めっちゃ抽象的ですけど、いま、そういうことをちょっと考え、悩んでおります。
 
角野: パクさん、ちょっとうなずいておられましたが、次の光みたいなことで何か。
 
ウォン: 私たちは、スタジオを構えて伝統芸能を教えていますけど、息子にもね、そろそろ本格的に教えたいと思っているんです。それをどう捉えるか、ですよね。僕らの場合は在日コリアンで、僕は日本の学校出身で、高校生になってから韓国の伝統芸能に出会って、始めたんですけども、私の息子の場合は生まれたときからすでに楽器がある状態で。それをどう伝えていこうかというのは、僕ら夫婦で考えているところなんです。伝統芸能については、フラットに全世界の方々に、国籍や老若男女も関係なく広げたいと思ってやっている教室なので、そこはどんな方でもオープンにやっているんですけど…家庭の話として考えると、そういうところはすごく課題といいますか、いろいろ考えていかなあかんなと思います。
 
角野: ありがとうございます。もう終わりますからね(笑)。シニョンさんから一人ひとりが見える存在に、という言葉があったんですが、僕、散歩活動家としてよく、まちなかを歩くんですけど、多文化というテーマも意識しないとなかなか見えてこないんです。こないだ、視点を変えて、多文化というテーマで歩いてみたら、全然これまでと見え方が違うくて、いろんなものが目に飛び込んでくるんですよね。ですので、いまはかっこつきの共生ですけど、僕たち、日本のマジョリティの側の人たちも、譲り合いというか、理解しあう感じですかね…見ようとするとか、そうやってもう少しでも一歩前に踏み込んだ共生ができるのかなって。僕ね、ほんとに全然知ってるわけじゃないのに、こんなことを言うのはおこがましいんですが、そんなことを感じました。ということで第2部、終了させていただきたいと思います。みなさん、どうもありがとうございました。
 
 


 
 

登壇者プロフィール

■角野史和
一級建築士事務所こと・デザイン。暮らしとともにある建物やまちを愛する散歩活動家・建築士・まちづくりコンサルタント。場所愛と1対1のお付き合いに基づいた建築設計、住民主体のまちづくり支援・地域計画・地域振興に携わる。ちいきいとでは駒ヶ林担当。マップ狂が高じて2018年 マップライブラリーGNUを開設。モットーは「つっかけで会いにいける距離感でとにかく顔をつき合わすんや!」。
 
■野上恵美
ベトナム夢KOBE共同代表。神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程修了。主な研究テーマは、在日ベトナム人の生活戦略について。ベトナム夢KOBEでは、生活相談、通訳・翻訳、母語教室、日本語教室、学習支援教室、インターネットラジオ番組制作などを行なっている。2015年に「ベトナム難民一世・二世たちの震災の記憶ー阪神・淡路大震災から20年を迎えて」を発行した。
 
■パク ウォン
サムルノリ奏者。神戸市生まれの在日コリアン3世。1997年より韓国伝統芸能の舞台活動を始め、日本全国、海外で演奏を重ねる。2006年Korea×Japanの伝統芸能を融合させた遊合芸能 親舊達/チングドゥルを結成。三重大学、神戸甲北高校、コリア国際学園講師。2010年 神戸長田文化賞受賞。2015年 スタジオ・長田教坊設立。
 
■趙恵美
舞踊家(コリアンダンサー)。ピラティスインストラクター。京都生まれの在日コリアン4世。9歳から舞踊を始め、日本、韓国で様々な舞台に出演。現在はコリアンダンサーとして朝鮮と韓国舞踊に軸を置き、創作活動を行なう。韓国伝統打楽器奏者としても音楽講師を務める。遊合芸能 親舊達/チングドゥルメンバー。スタジオ・長田教坊講師。
 
■金信鏞(キム シニョン)
在日コリアン2世。下関市生まれ。30年ほど前から公立学校に通う在日コリアンの子どもたちの教育課題に取り組む。近年は在日コリアンの古い写真や生活史料などを収集し、写真展を開催したり、長田在日大学やコミュニティカフェ「ナドゥリ」を運営し、交流拠点作りを進めている。一般社団法人神戸コリア教育文化センター代表理事。
 
■ファン・チォン・クォン
ベトナム共和国・フンイエン出身。2001年ハノイ映画演劇大学卒業。国立青年劇場の所属俳優として、演劇やコメディ等の様々な舞台に立つ。その後、同劇場の音響スタッフを15年にわたって務める。また、イベントの企画や音響も務め、ベトナム国内各地の劇場などで活動。2015年、結婚を機に来日。新長田在住。現在は尻池水産にて漁師もしながら、様々な在日ベトナム人コミュニティに関わる。
 
 

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こんにちは、共生社会とは

障がいの有無、経済環境や家庭環境、国籍、性別など、一人一人の差異を優劣という物差しではなく独自性ととらえ、幾重にも循環していく関係性を生み出すことを目的としたプロジェクトです。2019年に神戸市長田区で劇場を運営するNPO法人DANCE BOXにより始動しました。舞台芸術を軸に、誰もが豊かに暮らし、芸術文化を楽しみ、表現に向かい合うことのできる社会をめざす、多角的な芸術文化創造活動です。

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