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レポート

[テキストアーカイブ④] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第4部:新長田で<子ども>と共に歩む活動から

2019.07.07

2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。こちらでは、第4部の内容を掲載します。

 

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第4部
登壇:小笠原舞(こどもみらい探求社)、近藤美佳(真陽小学校ホアマイ教室)、尻池宏典(ふたば食堂)
進行:西崎宣弘(アグロガーデン)
 
 


 
 

第4部

 
文: 第4部の進行は、こちらも新長田アートマフィアの一員でもある、アグロガーデンの西崎宣弘さんです。よろしくお願いします。
 
 

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西崎: では、第4部をはじめさせていただきます、よろしくお願いします。いま、ご紹介いただきましたとおり、私もアートマフィアの一員で、みなさん、オジキやカシラといったポジションがあるんですけども、私には“ポチ”というポジションを与えられていまして、わかりやすくいうと犬です。(会場笑)役割は犬ということで、そこを一生懸命にやらせていただいてる次第です。まず、第4部にご登壇いただきました方のプロフィールを簡単にご紹介します。真ん中の尻池さん。尻池さんは、本業は漁師さんですけども、小学校、中学校で約7年にわたるPTAの活動を通して、地域の子どもたちの現状を知り、テレビのニュースで子ども食堂のニュースを見られたたときに、「あ、これは自分でもできるんじゃないか」と思って、「ふたば食堂」という、お子さんを対象にした、地域の方が集まれるような食堂を、自分がとってきた魚を食べていただくという形で実現をされております。ふたば食堂は約4年ほど前から、月に1回、土曜日に開催されてるんですけども、多いときで30人から40人ほどの子どもたちと大人が集まって、コミュニティの場になっていると聞いています。すでに4年間、いろんな方の協力を受けながら活動を継続されております。そのお隣りが、小笠原舞さんです。小笠原さんはもともと保育士で、保育士として働くなかで、こどもみらい探求社という会社を東京で立ち上げられました。子どもたちにとって本当にいい環境とは何かを考えながら、現在は、保育士起業家として、保育園のプロデュースや監修などもなされています。もともと東京にいらっしゃったのですが、2016年に神戸に来られて、当初は長田区ではなかったんですけど、ご縁がありまして新長田での子育てのあり方に非常に感銘を受けられて、いまは新長田に移住されて、地域でがんばっておられます。最後に、近藤美佳さんです。近藤さんはベトナム語の講師・通訳者・翻訳者で、第2部でもご活躍いただきましたが、もともとはベトナムの民族衣装、アオザイに感銘を受けて、大学時代からベトナム語を専攻。現在は真陽小学校のホアマイ教室で小学校に通うベトナム人の子どもたち、1年生から6年生の約20名にベトナム語を教えられています。ホアマイ教室自体は14年ほど続けられていますけど、近藤さんは携わって4年目だそうです。ということで、新長田で子どもに携わる活動をされている方々をお呼びしました。まず、みなさまから見て、子育てという目線で新長田の地域は、どう映っているのかをお伺いしていきたいのですが、実際にいま、子育てをされている小笠原さんからお聞きしたいと思います。
 

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小笠原: はい、やっていることがたくさんあり説明が難しいのに、すばらしい紹介でありがとうございます。実は今、息子を近所に住む若者に託してふたば学舎の公園に連れていってもらってるんですね。主人は仕事で来れないということで。日々、こんな風に家族以外の誰かの手を借りながら子育てをしています。私は、新長田の六間道に住んでいます。このまちで子育てをしたいと思った理由としては、r3(アールサン)というコミュニティスペースだったり、さっき出演されたはっぴーの家などで、誰の子だかわからないけど、子どもたちがワイワイ楽しそうにしているぞという光景にすごく感動して。子育てをするなら絶対にこの環境がいい! と直感で思って、主人に話して、一緒に来てもらって、新長田へ引っ越してきました。なぜそこまでビビッときたのか、当時はあまり言語化できていませんでした。この街には高齢者、障がい者、こども、アートというキーワードがあるなと感じ、それが魅力で。私はもともと福祉を学んでいたこともあり、人が豊かに生きるにはここにヒントがあるのではないかと感じました。そして、いろんな人や文化がごちゃまぜであればあるほど、自分の子がたくましく生きていけるんじゃないかということも感じましたね。保育士としての経験や、2012年から子育てコミュニティをやって来ましたが日常の暮らしにここまで密度濃く、様々なバックグラウンドを持つ人たちが混ざって過ごしているという環境こそが、子どもたちが育つ環境としていいんじゃないかと思ったんです。うちの子が生後1週間くらいからほぼ毎日、地域の小学生や中学生の子がうちに来てくれて、いろいろと子育てを手伝ってもらっています。こんな地域って、きっとなかなかないですよね。
 
西崎: ありがとうございます。尻池さんもご自身も子育てをされていますし、家で朝ごはんを食べられない子たちもいるという現状を知った上で、ふたば食堂をはじめられたと聞きました。その点も含めてどうでしょう。
 
尻池: 私も長田区で生まれて育って、ほんとに公園まで行かなくても、家の前が道路が遊び場になる…野球をしたり、鬼ごっこしたり、ケイドロしたりして、いつも道で遊んで、近所の人の目もあって、賑やかにしすぎて怒られることもあったけど、地域の人たちが暖かく見守ってくれてた、昔からの長田がありました。震災があってからは、そういった人たちも少なくなって、一度、長田の…どう言うんでしょう…人情味のあるまちも薄まりかけたんですけど、また今、新しい方々が入ってきて長田の持ってるものを継承されてるのかなと、僕は感じています。先ほど小笠原さんの言われたr3さんや、ダンスボックスさんもそうですけど、そういった地域性、第1部から出ている人の温かみ、思いやりとか、もともと長田にあったものじゃないのかなと思います。私には子どもが3人いて、長男が小学校に入ったときからPTAに関わりだして、PTA会長を4年、役員も含めると6年やりました。そのPTAでの活動を通して知ったことを、任期を終えたらもう何もしないっていうのが、僕は嫌だったので、何かできることはないかと思っていた矢先に、テレビで全国的に子ども食堂が広がっているというのを見て、これは僕でもできるんじゃないかと思ったんです。漁師をしているので、魚は無償で提供できますし、昔の二葉小学校、いまのふたば学舎がすぐ近くにあって、そこが使える…PTAをやったことで、婦人会のおかあさん方や地域の人たちとも知り合えたので、協力してもらえる人もたくさんいました。どう運営していくかということは、ふたば学舎の人たちとも相談して。子どもたちにとってきた魚を食べてもらえるのは僕もうれしいし、また子どもたちに栄養をとってもらえる。食べることは生きることだし、食べないと人は生きていけないので。食というところでうまく合致して、たくさんの人の協力を得ながら、子ども食堂の活動を継続できてるのかなと思います。
 
西崎: ありがとうございます。近藤さんは、日本人の子どもだけでなくて、真陽小学校でベトナム人のお子さんを教えてらっしゃいますけど、そのあたりの視点からいかがですか。
 

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近藤: 私は、日本に生まれ育ったベトナムのお子さんにベトナム語を教えていまして、主には大阪で活動しているんですが、4年前から真陽小学校のホアマイ教室に参加させていただけることになって。ということで、複数の母語学習教室を見ているんですが、真陽小学校くらいですね、教室に通っていない子どもまでもが私のことを認識してくれてるのって。私は基本的に母語教室にしか行かないので、他の学校だと、教室に通ってくるベトナム人の子どもたちと担当の先生くらいしか面識がないのがほとんどですけど、真陽小学校に行ったら、「あ、ホアマイの先生だ」「近藤先生、こんにちは!」「ベトナム語でこんにちはって何て言うの」って、いきなり質問攻めになるんです。みんながみんなを見合っていて、お互いの顔を知ってる、名前を知ってる、それから特性を知ってるというのが、すごく温かいところだな、とにかく人への関心度が高いなと感じています。ホアマイ教室は、ベトナムから日本に来られて長いお父さんお母さんから生まれた、ほとんど日本語、日本文化が優勢だよっていう子どもが多かったんですが、ここ2年ですかね、来日されたばっかりという家族も増えてきました。いまのホアマイ教室にも、日本語はまだ自由に話せないという子どもが数人います。第2部で野上さんの話にもありましたけど、お父さんお母さんが外国人であれば、自動的にバイリンガルになれるというわけではないんです。まず、話すことは難しい。ただ、お父さんお母さんが言ってることはなんとなくわかる。私が言うのもなんですけど、ベトナム語はすごく難しいので、それだけでもすごいんです、外国人が一生懸命勉強してもなかなかそこまで行き着けないレベルなんですよ、子どもたちの聴解能力は。ホアマイの子どもたちの多くもそういう状態なんですが、来日したばかりの子がなんか言ってるというのを聞きとって、私のところまで引っ張ってきて、「誰々ちゃんに今日の下校時刻を教えてあげて」って言ってくれる子がいるんです。そうやって、自分のできることをもって、ちょっと不便さを感じてる子を助けてあげられる雰囲気が自然にできているな、ということを感じています。
 
西崎: お三方の話を聞いて、のびのびと子育てができるまちなんじゃないかと感じているんですが、第1部では「距離感が近い」という言葉が出てきました。第3部では、だけれども「境界はある」という話がありました。以前、小笠原さんにお話を聞いたときに、新長田がとてもよい距離感だと言われたんですけど、近い、遠いではなく、いい距離感だというのは実際にどういったところで感じてられるのか、教えていただけますか。
 
小笠原: はい。私は関東からこっちに移ってきて、すんなり入れたのはありがたいです。近所に気心知れた仲良しな家族たちがいるのもすごく助かってます。「私、実は今日、疲れてて…」とか、なかなか言いづらいことでも普通に言えて。「そうなんだー、了解!」ってその日は終わって、次の日に「大丈夫? 元気?」「うちご飯食べにおいで」とか電話をかけてきてくれたりする。教育現場では色とりどりの個性とか、よく言われますけど、「大人が自分らしく、そのままの形で自然にいれるよね」って主人がポロッと言った言葉に、本当にそうだなと思いました。いま、ダイバーシティと言われるなかで、頭でわかっている人は多いと思いますけど、それをスッと体で感じられるまちだなと。それが距離感というか、居心地がいいっていうところにつながっていくんじゃないかなと思います。
 
西崎: そういったいい距離感のまちで、1部でも「壁がない」というお話が出ましたけど、尻池さん、実は、以前はこのまちに壁はわりとあって、昔の長田といまの長田ではだいぶ違ってると思いますけど、そのあたり昔はどんな感じでしたか。
 

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尻池: そうですね。まあ、熱すぎるというのか、結局、外から入ってくる人には入りづらい部分はあったと思います。私の父は一時期、長田区でも北の方、長田神社の上の宮川町に引っ越していて、結婚をして、父が漁師を継いでから、また長田の南部の駒ヶ林に戻ってきたんですけど、帰ってきたばかりのときは、やっぱり周りの人の目がキツイといいますか、コミュニティができあがってるところなので、新しい人に対して誰が来たんや、みたいな空気は子どもながらに感じました。なので、さっきもお話しましたけど、震災でたくさんの人がいなくなって、空き家が増え、空き地が増え、そういった濃すぎるまちが薄らいだところに新しい人が来て、いまのこの形があるのかなって。僕はここで生まれ育ってもう42年ですけど、ずっと長田から外に出たことはなくて。長田を見続けているとそういう感じがします。
 
西崎: 長田といえば、ひと昔前はどちらかというと悪いイメージが強かったと思うんですけど、いま、小笠原さんのように長田で子育てをしたいと言って、外から入ってきていただける。そのキッカケは震災であったかどうかは定かではないんですが、先ほどちょっとお聞きしたところでは、私の勤めるアグロガーデンが震災の頃はまだ公園で、ベトナム人の方たちがそこに集まっていて、通常の避難所である学校とかには行けずに、ある特定の地域に固まって避難生活をされていたそうです。その頃から比べると、いまのベトナム人コミュニティが地域に溶け込んでいる感じは、近藤さんの目にはどう映りますか。
 
近藤: 実は、私の出身は愛知で、大学進学を機に関西に出てきました。なので、私自身が目にしたことではないですけど、私のベトナム語の恩師、大学時代にお世話になった先生が、コミュニティがまとまっていく過程をずっとご覧になっていた方でした。先生から聞いた話によれば、震災以前に既に長田にはベトナムの方がたくさんおられたんですけど、もともとの出身地や宗教だとか、そういったことであまりまとまってはおらず、点在していた、同じ地域にいるのにお互いを知らない状況だったようです。ところが、震災という大きな出来事が起こったときに、「そんなことを言ってる場合じゃない」「助けあわなければ」ということで、コミュニティができあがっていった、まとまっていった、そしてそこから地域にも溶け込むようになったという風に聞いています。長田のベトナム人コミュニティにとっても、やはり震災は大きな転機だったと伺っています。
 
西崎: 非常に大きな爪痕を震災がまちに残していますけども、ほんとに変わることができたというのが、いまの新長田の魅力につながっているのかなと思います。今後、小笠原さんのように長田で子育てがしたいという方がどんどん増えれば、それだけでもまちの雰囲気が明るくなってくるでしょうし、新長田の可能性がどんどん広がっていくと思いますけど、そのあたり、どんなところに可能性がもっとあると思いますか。
 

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小笠原: 私がこのまちに移住してから、私が関東で活動してた頃の周りの保育士だったり、子育てコミュニティに来ていたママやパパだったり、たくさんの人がやってきました。もう何人来ただろう…わからないですが。神戸に来たこともないのに、このまちにやって来た人が去年すごく多くて。みんなすごく感銘を受けて帰っていきます。「定期的にまた帰ってきます!」という子がいたり、実際にたぶん来年、ひと組引っ越して来る予定だったり。いま、子育てをしていると待機児童の問題だとか、隣りに誰が住んでるかわからないとか、よく聞きますよね。そんな中、喫茶店に行ったら隣りのおばちゃんに息子を抱っこされて、「お母さんって、朝ごはんをゆっくり食べれないんだから、今日くらいゆっくり食べなさい」って言ってる間に、席の遠くの向こうまで息子が抱っこされていくという光景とかがあって(笑)このまちでの出来事Facebookやブログで発信発信すると、「え、なにそれ?!そんなことあるの?感動する!」と言われるんです。だから、いまこのまちはアートや介護といったところで注目されていると思いますけど、私的には「教育現場」としての可能性を感じています。まちの中で子どもたちを支えあったり、見守っていたり、学校だけに頼りきらないということがこのまちにはある。学校というものに縛られずに、「教育環境としての新長田」というところをもっともっと発信して、注目してもらいたい。そうやっていれば、移住してくる選択肢だけじゃなくて、教育観点からの視察が増え、他のまちでもどう子どもの育ちを見守れるのかを考えてもらえたらなと。もちろんそのまちの特徴やリソースを活かしながら。私も今日は1部から聞いて、すごく勉強になりましたし、まだつながってない方がいたので、そういった方のお力も借りながら、このまちから今日お話させていただいたようなそんなことを発信していけたらいいなと思います。
 
西崎: 尻池さんどうでしょう、長年、このまちでPTAを務めてきた立場から、子どもたちにどう育ってほしいといいますか、まちとしてどうありたいというのは。
 
尻池: 小笠原さんの話とつながりますけど、正直、長田区は学力は低いんです。学力の部分がウェイトを占めるお父さんお母さんは、「この地域で育てたくない」って、よその地域に引っ越していくとかっていうのは、ほんとによくあることです。僕が思うのは、学力も大事だけど、人として育てるという部分では長田には強みがあると思うんです。だから、その学力というのを、お父さんお母さんも仕事で忙しくて、塾に通わせたりとか、そういった負担が大きいっていうので逃げてるのかなと思います。実は、長田って子育てがほんとにしやすい場所だというのは、このまちに住んで、子どもを育てられてるお父さんお母さんならよくわかってると思うんですね。その学力という部分は、各家庭の努力も必要だと思いますけど、まずいちばん大事な“人として”という部分で見ると、長田という地域はほんとにいいところじゃないかなって。将来、子どもが大人になって、長田で育ってよかったなと感じると思っています。
 
西崎: ありがとうございます。いままでの話でも、ベトナムの方も地域のコミュニティに溶け込んで、いろんなことをされる過程のなかで、子どもは日本語がしゃべれるけど、お父さんお母さんがしゃべれないとなると、実は家庭内のコミュニケーションの方が難しかったりする場面も出てきているのかなと。外国から来て働いてるお父さんお母さんが、なかなか日本語を学ぶ環境が整ってないようなところもあるかなと感じますけど、近藤さんはどうお考えでしょう。
 
近藤: ベトナム語を教えている身としては、お父さんお母さんが日本語を学ぶことももちろんですが、やはり子どもさんにどうかベトナム語を伝えていってほしいなというのが正直なところです。なんですが、私の立場が言っちゃいけないですけど、ベトナム人の親御さんの下に生まれたからといってベトナム語をしゃべらなくてはいけないとも思わないんです。ベトナムのお父さんお母さんも暮らしの中で最低限の日本語を身につけた、お子さんはしっかりと日本語を身につけて生きていく。それはそれでいいじゃないか、と。たしかに、家庭内で話が通じないということ、実際に起きてるんです。私が大阪のある高校で、個人懇談の通訳に入ったとき、先生と保護者の方の通訳のはずだったのに、最終的には親子間の通訳をしていたということがありました。ほんとに辛かったです。在日ベトナム人の家庭に、こんなことが起きてるんだなって。その直後は、こんなことがあってはいけない、ベトナム人の子どもに対する母語教育をがんばらなきゃと思ってたんですけど、ここ数年ですね、そうとも限らないなと。逆に子どもにベトナム語を押し付けることがストレスになってはいけないですし、日本で生まれ育ったベトナム人だよ、ベトナム語はできないけど日本語は上手だよって、ありのままを受け入れる。そのうえで、もしも何か不便なことが生じるのであればそれを支えるような体制をつくっていくというのもありなんじゃないかなと思うようになりました。なので、日本語だけを教えてベトナム語を教えていないお父さんお母さんがいけないとか、日本語の勉強をしないお父さんお母さんがいけないとか、そんなことではなくて、それこそ真陽小学校とホアマイ教室の子どもたちのように、お互いにできることをやりながら、もしも目の前にできない人がいたら助ける。そういった形をうまくつくっていけたらと思うんですね。長田区にはその土壌があるなと感じます。そういったことが他のところではなかなかできないというのも目にしてきていますから、逆にここになぜこういう土壌が育ったんだろうということを、私自身も活動を通してこのまちから学びたいなと思っています。親子の事情って本当にいろいろだと思うんです。ですので、たとえ、お父さんお母さんと子どもさんの言葉が違っても、それはそれでひとつの家族の形だと思うので、まずはその形をありのまま受け入れてあげてほしいですし、もしもお父さんお母さんが日本語を、子どもさんがベトナム語をがんばってる姿を見られたのなら、そのがんばる姿勢を応援してあげてほしい、もし何かできることがあれば手伝ってあげてほしいなと思います。
 
西崎: 1部から4部まで話してきたなかで、やはり「できなくてもいいよ」「人と違ってもいいよ」という寛容性を受容していただける土壌が長田にはあるんでしょうか。ということで、子育てであれ、多文化であれ、高齢者であれ、それが共生ということにつながっていくのかもしれません。今日のような話をする場でも、実際にお子さまを連れてこられる環境であること、また、お子さまを見ていただける誰かがいることって、ひとつの地域の子育てとしては非常に大事なことなのかなと、私もいつも感じております。では、第4部を終わらせていただきます。ありがとうございました。
 
 


 
 

登壇者プロフィール

■西崎 宣弘
株式会社ホームセンターアグロに勤務。地域担当として、地域の様々な行事に参加する中で、知らないうちに新長田アートマフィアに加入。芸術とは無縁な生活を送りながらも、首輪と手錠によって自身の内に潜む芸術心に気付かされる。奈良在住で、毎日片道2時間かけて神戸まで通勤。競馬が趣味の41歳。
 
■小笠原舞
法政大学現代福祉学部現代福祉学科卒業。2012年には子育てコミュニティ「asobi基地」、2013年には「こどもみらい探求社」を設立し、”子どもにとって本当にいい環境とは?”を軸に活動している。著書「いい親よりも大切なこと ~こどものために”しなくていいこと”こんなにあった~」、写真集「70センチの目線」。長田区在住。0歳児のママ。
 
■近藤美佳
ベトナム語講師・通訳・翻訳。ベトナムの民族衣装アオザイに魅せられ、大阪外国語大学でベトナム語を専攻。大学在籍時よりベトナムルーツの子どもたちへの母語・日本語・教科学習支援活動に携わる。2016年度より真陽小学校ホアマイ教室(ベトナムルーツの子どものための母語・母文化学習教室)講師を務める。
 
■尻池宏典
神戸長田の漁師。主に玉筋魚新子漁やシラス漁を行う船曳網を営む。そのかたわら様々な地域活動に参加。

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こんにちは、共生社会とは

障がいの有無、経済環境や家庭環境、国籍、性別など、一人一人の差異を優劣という物差しではなく独自性ととらえ、幾重にも循環していく関係性を生み出すことを目的としたプロジェクトです。2019年に神戸市長田区で劇場を運営するNPO法人DANCE BOXにより始動しました。舞台芸術を軸に、誰もが豊かに暮らし、芸術文化を楽しみ、表現に向かい合うことのできる社会をめざす、多角的な芸術文化創造活動です。

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